Enrico Melozzi
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ジュゼッペ・タルティーニの肖像、18世紀。ウィキメディア・コモンズより(パブリックドメイン)。

アンコーナ、1714年。22歳のヴァイオリン奏者ジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini)が重音、二つの音を同時に弾き、そこに三つめの音を聴く。それは、倍音から期待されるように他の二音の上にあるのではない。下にある。低く、細く、執拗に。どの弦もそれを出していない。それでも彼はそれを聴き、生涯聴きつづけることになる。

40年のあいだ、彼は弟子たちにそれを語り、印刷物には一行も書かなかった。そして1754年、パドヴァの神学校印刷所(Stamperia del Seminario)が『和声の真の科学にもとづく音楽論(Trattato di musica secondo la vera scienza dell’armonia)』を刊行し、その幽霊のような音が、一つの体系全体の要になる。タルティーニはそれを「第三音」(terzo suono)と呼ぶ。彼はそれを音響学的な珍奇としてではなく、証明として扱った。二つの音が正しいとき、自然がそれを下から支える第三の音を加えるなら、和声は人間の約束事ではない。音そのもののなかに書き込まれていて、その基礎は低音である。

この論考は難解で、ときに晦渋、幾何学と計算がびっしりと詰まっている。同時代の人々は、理解よりも敬意をもってこれを読んだ。だが、真剣に受け止めた者もいた。ジャン=ジャック・ルソーは1768年の『音楽事典(Dictionnaire de musique)』で、これに長い解説をあて、ラモーの体系と比較している。タルティーニは食い下がる。1767年、パドヴァで第二の書、『全音階の類に含まれる音楽的和声の諸原理について(De’ principj dell’armonia musicale contenuta nel diatonico genere)』を刊行する。やはり、誰も弾かないあの同じ音をめぐる書である。

だが、英雄譚が口をつぐみがちな事実がある。タルティーニは、それを最初に書いた人ではなかった。1740年代半ばにはドイツのオルガン奏者ゲオルク・アンドレアス・ゾルゲ(Georg Andreas Sorge)がすでにこの現象を記述していて、1751年にはモンペリエでジャン=バティスト・ロミュー(Jean-Baptiste Romieu)がそうした。いずれも『音楽論』より前である。1714年という日付は、40年後にタルティーニ自身が語った話によって知られるもので、歴史家たちはそれ以来、発見の順序について論じている。それでも、その上に和声の理論を築いたのは彼であり、この音に付いて残った名前は彼のものだという事実は変わらない。

彼は正確には何を聴いていたのか。答えは単純な算術である。完全に調律された長3度の二つの音をとる。毎秒440振動のラと、550振動のド♯。二つの振動数の差は110で、110振動は別のラ、最初のラの2オクターブ下である。これが第三音だ。実在する二つの音の差に相当する音である。完全5度、440と660なら、差は220で、幽霊は低いほうの音の1オクターブ下に落ちる。

18世紀から19世紀にかけて、ラグランジュやトーマス・ヤング(Thomas Young)のような学者が、これをうなりで、すなわち空気中の二つの波の干渉によって説明しようとした。それは誤った説明だった。今日の音響学は、この現象の起源の大部分を私たちの内側に置く。内耳は中立の受信機ではなく、届く振動に非線形に反応して、受け取った振動数の和や差である新しい振動数をつくり出す。タルティーニは、実在しない音を本当に聴いていたのだ。ただ、そこにヴァイオリンはほとんど関わっていなかった。それを弾いていたのは、彼の蝸牛だった。

そのことは、実用的な使い道も説明する。ヴァイオリン奏者がいまも保っているものだ。第三音は厳しい審判である。重音の二つの音が合っていれば、幽霊の音はちょうど二音の下に落ちて、それを支える。どちらかがわずかに低いか高いかすれば、幽霊も動き、和音は割れる。重音の音程を確かめるには、誰も弾いていないものに注意深く耳を傾ければよい。

現代の音響学の教科書では、この現象は結合音、または差音と呼ばれる。5度を合わせ、3度を磨くのにいまも使われているヴァイオリンの教室では、相変わらず「タルティーニの第三音」と呼ばれつづけている。

Il testo è delIl Coro di Melos di Melos
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