2023年5月、チェゼーナ。洪水の泥に覆われた師ピア・ザンカ(Pia Zanca)の家で、シャベルと長靴が行き交うなか、ピアノの上に残っていた唯一の楽譜が「夜の女王」だった。ラドミラ・ノヴォジェーエヴァ(Radmila Novozheeva)はそれを開き、ヴォカリーズもなしに、泥をかき出す人々の前で歌った。その動画は国じゅうに広まったが、彼女の物語ははるかに遠くから始まる。バイカル湖の近くのアンガルスク。耳の聞こえない両親のもとに生まれ、幼いころは鍵盤を一つ押さえたまま何分も、音が生まれて消えていくのを聴いていた。やがてピアノ、ロシアでの卒業、バーリ、モデナ、チェゼーナでの学び。いまはそのチェゼーナのコレッリ音楽学院(Istituto Corelli)でオペラの声楽を教えている。この春はRai 1の土曜夜の番組『ダッラ・ストラーダ・アル・パルコ(路上から舞台へ)』に出演し、決勝まで進んで、ヴィットリオ・グリゴーロ(Vittorio Grigolo)と並んで『コン・テ・パルティロ』を歌った。11月15日(日)20時、サンタ・チェチーリア・ホールで開かれるザ・クラシカル・レイヴ・パーティ(The Classical Rave Party)に、変わらぬ十八番のアリアを携えて立つ。
あなたはバイカル湖の近くのアンガルスクで生まれ、歌手になる前にピアノを学びました。ピアノが与えてくれたもので、いま歌のなかに見いだすものは何ですか。
ピアノが私に与えてくれたのは、まず規律です。それから、自分が出すすべての音を、身体と魂のすべてで深く聴き取る力です。ピアノを通じて私は、演奏者としてだけでなく一人の人間として音楽に入っていくことを学び、弾くものに自分の経験や感情、感じ方を持ち込みました。この感受性は、歌い始めてからも私に寄り添ってくれていると思います。
耳の聞こえないご両親のもとで育ったと話されていました。その静けさは、あなたと音や声との関係にどれほど影響しましたか。
私にとっては、とても美しい時間でした。一つひとつの音が魔法のようで、別の世界に入っていくようでした。鍵盤を一つ押さえたまま何分も、音がどのように生まれ、どのように終わるのかを聴いていられました。静けさは、私の感受性や音楽への近づき方に大きく影響したと思います。私が生きてきたすべてのことを声を通じて語れるのは、何よりも自分の内面の世界からなのです。

ロシアで卒業し、その後バーリ、モデナ、チェゼーナで学びました。ロシアの声楽教育とイタリアの声楽教育には、どんな違いがありましたか。
方法も、時間数も違います。ロシアでは声楽のレッスンが週に4回ありました。イタリアでは、残念ながら週に1回、45分です。大半の時間は一人で勉強し、必要なときに、可能なときに、ピアニストのところへ行かなければなりませんでした。ロシアでは、教師は声楽でもほかの科目でも、あなたを自分の子どものように扱います。あなたを気にかけ、あなたの歩みを大切にします。イタリアの教師は、これは私の経験の話ですが、それほど面倒を見てくれず、すべてが自分の責任です。それはそれで大切なことですし、素敵なことでもあります。最終的に自分の勉強を大事にしなければならないのは自分自身ですから。そして最初から自分だけを頼りにすることに慣れていたので、大きな問題はありませんでした。
ロシアでは、表現、音楽的なフレーズ、技術に多くの時間をかけます。イタリアでは、私たちは外国人なので、発音とフレージングに重きを置くことが多いです。この何年かのあいだ、私はイタリア的なスタイルにも取り組みたいと思ってきました。イタリアの音楽、ベルカントが大好きだからです。
2023年5月、ロマーニャの洪水の日、師の家から泥をかき出しながら、あなたは夜の女王を歌いました。技術的に、ウォームアップなしで、寒いなか、泥のなかで長靴を履いて、コロラトゥーラの声には何が起こるのですか。
私にとってあの曲は十八番で、モーツァルトのなかでも最も難しいページの一つなのに、ウォームアップなしでも歌えます。12年間歌ってきて、自分の一部になりました。声の技術のおかげかもしれませんし、高音や超高音が楽に出るからかもしれません。ヴォカリーズなしでこれを歌う人を、私はほかに知りません。
なぜ、よりによってあのアリア、復讐のアリアを、あの瞬間に選んだのですか。
実は、考えもしませんでした。水没したピアノの上に、そのときたまたま置かれていた唯一の楽譜だったのです。それに、有名な曲で、みんなが知っています。選んでいる時間はありませんでした。自然にそうなったのです。
あの動画によって、あなたはまず象徴として、それから歌手として知られるようになりました。声で評価されたい音楽家にとって、それは重荷でしたか、それともチャンスでしたか。
重荷では絶対にありませんでした。素晴らしい機会であり、新しい人たちに私を知ってもらうためのショーウィンドウでした。
夜の女王は、超高音のファ、スタッカート、とてつもなく速い音階で生きています。このようなアリアは、どのように勉強し、何年にもわたってどう調子を保つのですか。
先ほど言ったように、超高音にもアジリタにも苦労したことはありません。神様から授かったものです。ただ、最初のころは、三連符の音階やアルペッジョを、ゆっくりしたテンポで、一音一音を聴き、音程に気をつけながら、たくさん勉強しなければなりませんでした。難しさは超高音のファだけにあるのではなく、きれいに、正しい音程で通過することにあるからです。

『路上から舞台へ』では、土曜夜のRai 1で、おそらくオペラ劇場に足を踏み入れたことのない何百万もの人々の前でオペラを歌いました。何を学びましたか。
音楽を通じて人々の魂に語りかけられることに、とても大きな喜びを感じました。あの瞬間、私たちはみんな一つになっていました。音楽は永遠で、計り知れない力を持っていることを学びましたし、この魔法の世界の一員でいられることを、とても幸せに思っています。
決勝ではヴィットリオ・グリゴーロと『コン・テ・パルティロ』を歌いました。あなたにとって、オペラとカンツォーネの境目はどこにあり、それを越えるとき、発声はどう変わりますか。
境目は、まったく感じませんでした。あの曲は、レチタティーヴォつきのアリアのように歌いました。最初の部分は私の声には低かったのですが、自分の発声のまま、何も変えずに、ただ言葉を彫り込み、より意味を与えることを心がけて歌いました。残りは、自分のオペラの技術で、そのままの形で歌いました。
5月29日には、アッシジの大聖堂前の広場から、Rai 1の生放送の夜に歌いました。マイクを使って野外で歌うことは、ホールとは何が違いますか。
心に抱いて持っていく、素晴らしい経験でした。マイクを使って野外で歌うことは、とくに夏には、わりとよくあります。でも生放送で歌って、その夜を締めくくるというのは、とても素敵であると同時に、大きな責任でもありました。
違いは音響にもあります。ホールでは音がまとまって、自分に返ってきます。野外では消えて、散らばって、返ってくるものがありません。
あなたはチェゼーナのコレッリ音楽学院でオペラの声楽を教えています。教室に入ってきた生徒に、まず何を尋ねますか。
あなたにとって音楽とは何か、と。声で何を語りたいのか、と。私はいつも生徒たちに、魂で仕事をしなければならない、音符だけを歌ってはいけない、音符だけでは誰も興味を持たない、と言っています。絵を描くように、技術のことは考えずに歌わなければなりません。自分が何を歌っているのかを理解し、それを心で歌えたとき、技術はひとりでにやってきます。

歌手は楽器を身体の内側に持っています。毎日どのようにそれを守っていますか。身体的な疲労について何を学びましたか。
体を冷やさないようにし、声に無理をさせないようにしています。1日に1時間以上は歌いません。以前はそうではありませんでした。音楽院では毎日3時間続けて歌って、声が出なくなって帰っていました。いまは、声も、声帯も、休息が必要だと学びました。技術的な練習はずっと減らしましたが、調子を保つために、それでも続けています。それに、歌い始めたとたんにとても気持ちがよくて、とても幸せで、やめられなくなり、時計を見なくなることもあります。歩くことや泳ぐことも、息にも体全体にもとてもいいです。私たちの身体は、私たちの共鳴箱であり、私たちを守るものです。
室内楽の2年課程を修めました。ロシアとイタリアの室内楽のレパートリーのうち、どちらをより自分のものと感じますか。それはなぜですか。
はい、チェゼーナ音楽院で室内楽の学位を取りました。卒業のときは、ロッシーニの連作歌曲と、ラフマニノフの『ヴォカリーズ』を持っていきました。室内楽は、ドイツのも、フランスのも、イタリアのも、ほとんどすべて好きです。でも、ほかの何よりも自分のものだと感じるのはロシアの音楽、チャイコフスキーとラフマニノフです。深くて、同時に澄んだ私のロシアの魂を映し出しているからです。私の文化であり、私のルーツです。
11月15日には何を歌いますか。そしてコンサートホールが一夜だけレイヴに変わることに、何を期待しますか。テレビであなたを知った観客もいるかもしれません。
私のお気に入りの曲、モーツァルトの夜の女王を歌います。この素晴らしいホールで歌い、偉大な音楽家や偉大なアーティストたちと、私にとっては新しい環境で仕事ができるのは光栄です。忘れられない経験になると確信しています。そして、すでに私を知ってくださっている方々も含めて、すべての観客のみなさんの前でもう一度歌えることを、嬉しく思います。
私たちが尋ねなかったことで、言っておきたいことはありますか。
マエストロ・エンリコ・メロッツィにお礼を言いたいです。ご招待いただいたこと、偉大なアーティストたちと並んで格式あるステージに立つ素晴らしい機会をいただいたことに。そして、このとても興味深いインタビューにも。
