da Enrico Melozzi | 06/10/2026 | Ascolti, Melos
1720年7月、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、主君であるアンハルト=ケーテン侯レオポルト(Leopold)に随行して湯治場カールスバート(Carlsbad)へ赴いたのち、ケーテンに戻った。出発のとき、妻マリア・バルバラ(Maria Barbara)は健康だった。戻ってみると、彼女はすでに亡くなり、埋葬も済んでいた。聖ヤコブ教会の記録には、埋葬は7月7日と記されている。バッハの死後に息子カール・フィリップ・エマヌエル(Carl Philipp Emanuel)とヨハン・フリードリヒ・アグリコラ(Johann Friedrich...
da Enrico Melozzi | 05/10/2026 | Interpreti, Melos
アンナ・マグダレーナ・バッハの写譜による、バッハの無伴奏チェロ組曲。ベルリン国立図書館。ウィキメディア・コモンズより(パブリックドメイン)。バルセロナ、1890年。2年前にエル・ベンドレイからやって来て市立音楽学校に通う13歳の少年は、毎晩、カフェ・トストのトリオでチェロを弾き、それが週7日続いている。ある日、父と散歩していて、港の近くの古楽譜店に入り、楽譜をかき分ける。店を出たとき、手にしていたのはライプツィヒで印刷された1冊だった。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲6曲、フリードリヒ・グリュッツマッハー(Friedr...
da Enrico Melozzi | 05/10/2026 | Melos, Officina
シャルル・プリュムレル(Charles Plumerel)作とされるコントラバスと弓、ミルクール、18世紀。メトロポリタン美術館。ウィキメディア・コモンズより(パブリックドメイン)。パリ、1844年。エクトル・ベルリオーズは『管弦楽法大概論』(Grand traité...
da Enrico Melozzi | 04/10/2026 | Dossier, Lungo formato, Melos
文:エンリコ・メロッツィ全13回のうち、これは第12回である。主張は第1回にあり、変わらない。以下は、それを証明するためのものである。『レクイエム』K. 626の作業用総譜の最終頁。ウィキメディア・コモンズより(パブリックドメイン)。...
da Enrico Melozzi | 04/10/2026 | Melos, Storia e tecnica
作者不詳(シエナ)、暦改革委員会を描いたビッケルナ板絵、1582〜1583年。シエナ国立古文書館。ウィキメディア・コモンズより(パブリックドメイン)。カスティーリャのアルバ・デ・トルメスで、アビラのテレサは1582年10月4日から5日にかけての夜に世を去った。ところがその年、10月5日は来なかった。彼女の死の翌朝、暦は15日を示していたのである。教会はいまも、彼女の祝日を10月15日に祝っている。同じ夜、イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランドでは、10日間が法令によって消えた。それを消したのは、グレゴリウス13世が同年2月24日に...
da Enrico Melozzi | 03/10/2026 | Il Sistema, Melos, Opinioni
メロス合唱団(技術科学委員会)よりスカラ座の正面を描いた19世紀の版画。ウィキメディア・コモンズより(パブリックドメイン)。オペラの値段に文句を言う人も、それを擁護する人も、昔がどうだったかを知らないまま議論していることが多い。話しておく価値はある。19世紀の料金体系は洗練された社会装置であり、今日との比較は、どちらの側にも意外な結果をもたらすからだ。...